【神神の契約】釈 

西風隆介による公式の謎本  

忌部が創建した都筑区茅ケ崎の杉山神社

40社ほどもある杉山神社の中で、みずから〝忌部〟創建を標榜している神社が一社ある。横浜市都筑区茅ケ崎にある杉山神社だ(湘南海岸沿いの、いわゆる〝茅ヶ崎〟とは別)。 紅葉葵さんのブログ「たんぽぽろぐ」に詳しい探訪記事が載っている。 momijiaoi.net…

〝大鷲神社〟の「鷲」の秘密

大國魂神社・拝殿の右手(東)側に、素木造りの小さな社殿がある。住吉神社と大鷲(おおとり)神社の合同社だ。住吉神社はさておき、問題は大鷲神社である。案内板には次のように記されている。 祭神 大鷲大神(おおとりのおおかみ)。 例祭 十一月酉の日。 …

金比羅神社の惨劇

このお堂は文化十三年(1816年)の改修だそうで、つまり200年以上も経っており、遠目にはそこそこ見られても拡大すると見すぼらしさが際立つ。扉の小窓は宮乃咩神社の旧社殿と同じく宝珠窓だったのでは、とも想像されるが、修理が追いつかずにああなったのだ…

大國魂神社の〝裏の七不思議〟

大國魂神社の拝殿の紙垂は、世にも珍しい「鏡折り」になっている。 本殿の狛犬は阿・吽が左右逆で、紙垂も「鏡折り」である。 本殿の屋根飾りからは、祭神は女神様が示唆される。 大銀杏の御神木は本殿裏のさびしい場所にあり、表の七不思議で根がほじくり返…

日本最古のお祭り〝くらやみ祭〟

大國魂神社は西暦500頃から「南斗」だったので(さきたま古墳群が「北斗」)、東京都指定無形民俗文化財・武蔵国国府祭・大國魂神社例大祭〝くらやみ祭〟は、プリミティブな北辰祭と言えるだろう。本来、北辰祭は「南斗」でやる決まりだからだ。そもそも「南…

ありし日の〝宮乃咩神社〟

大國魂神社の大鳥居(御影石製では日本一)をくぐって1、2分歩くと、左側に石畳の細い参道が直角にのびていて、その先に〝宮乃咩神社〟が建っている。だが、写真のような風情ある社殿は、すでに無い。 扉の小窓が可愛いが、やはり〝宝珠窓〟と呼ぶそうだ。…

幻の〝忌部〟連合国

大和三山は意外に小さく、標高は天香久山152メートル・畝傍山199メートル・耳成山140メートルで、一辺5キロに満たない三角を形作っている。 古代、大王(だいおう/おおきみ/おほきみ=天皇)が交替すると京(みやこ=天皇の宮殿)を新造したが、大和三山…

小山〝安房神社〟の秘密

穀(かじ)の木が生(お)うる所なり、故(ゆえ)、結城(ゆうき)の郡(こおり)という。と『古語拾遺』にあった結城市、その西隣の小山市にある安房神社は、忌部氏の最終到達点と考えられていて、実際かなり奥地だ。 社伝によると、第10代崇神天皇年代の創…

稀少な〝忌部〟関連の書籍

忌部の正体とか忌部の秘密とか、気軽に読めそうな書物は皆目無い。古代史関連の本を百冊ほどは執筆されていそうな関裕二のラインナップを見渡してみても……無い。氏の著作 『神社が語る 古代12氏族の正体』(祥伝社新書)の12氏族とは「天皇家、出雲国造家、…

まな美と土門くんが喋る〝忌部〟のルーツ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「なんだか、話すのとっても久しぶり、て感じがする」「自分も十年ぐらい冬眠しとったような気が、せーへんこともないこともあら…

西角井正慶の神社分布図をもとに

『神神の契約』304ページ「謎の久伊豆神社」に付けようとしたが割愛したイラストを紹介しておこう。西角井正慶が作成した有名な〝神社分布図〟をもとに、忌部関連の神社などを加筆したものだ。氏の古典的名著『古代祭祀と文学』中央公論社から写真撮影したの…

蘇我氏の東国の拠点、世が世ならば神宮の〝蘇我比咩神社〟

次のイラストは、国土交通省関東地方整備局霞ヶ浦河川事務所「霞ヶ浦の変遷・昔はどうなっていたか/約1千年前」の地図をベースに、神社4箇所を加筆したものである。 香取神宮と鹿島神宮は、そもそもは要害で、国境で、蝦夷(えみし)に対する最前線基地だ…

〈其の4〉〝多摩川〟のタマの由来は?

古代は〝多摩川〟が道である。川を遡っていくと河口から十数キロのところでカクンと左に折れてやや蛇行する。その正面(右手側)の崖上に古墳を建てたのだ。それが東国で最初の前方後円墳〝宝莱山古墳〟で、おおよそ西暦300年だ。上の写真は、その手前の @ …

〈其の3〉〝前玉神社〟の奥義

神様や神社のような宗教的事物は、重層的な解釈が可能であればあるほど信仰を勝ち得て後世まで存続できる、というのが筆者の持論だ。摩多羅神しかり金比羅神社しかりだが、この〝前玉神社〟も例に漏れずだろう。 「前にある玉だから前玉」は単純で誰にでも分…

〈其の2〉〝前玉神社〟の前玉(サキタマ)とは?

前玉神社は、浅間塚古墳と呼ばれる〝円墳〟の、ほぼ頂上部に建っていて、上の地図イラストをご覧になれば分かるように、二子山古墳(さきたま古墳群で最大の前方後円墳)を中心にして、丸墓山古墳とは対称の位置(等距離)に置かれている。 この地図イラスト…

〈其の1〉埼玉県名の由来〝前玉神社〟

埼玉県知事「畑和」書による「埼玉県名発祥之碑」は、さきたま古墳公園の一角に建っている。だが「埼玉県名の由来」を読んでも分かるように、そもそもの由来は〝前玉神社〟なのだ。いわゆる政教分離が喧しい(かまびすしい)ので、神社にこんな石碑は建てら…

洲宮神社と常楽山萬徳寺

延喜式神名帳に載る后神天比理乃咩命神社は、文永10年(1273年)の火災で社殿や古文書類などを完全に焼失し、百年以上も放置され、永享11年(1439年)に現在地に遷座して規模を5分の1に縮小して建てられたのが、写真の洲宮神社だ。 鈍感な筆者が見ても感じ…

安房神社の〝金比羅〟

十数年前の話だが、館山市内でタクシーをひろい「安房大社までお願いします」と言って、「大社じゃない、あそこは神宮だ」と運転手から窘められたことがある。気を利かして言ったつもりだったが、裏目に出たようだ。 安房神社の所在地が館山市大神宮で、伊勢…

洲崎神社の〝房州石〟

洲崎神社は、房総半島の西の岬の突端に位置し、延喜式神名帳に載る〝后神天比理乃咩命神社〟でございますと艶やかな石の案内板に刻まれてはいるが、ここは元来その遙拝所で、后神天比理乃咩命神社の本宮は文永十年(1273年)に焼失してしまって現存しない。 …

さきたま古墳群の〝房州石〟

将軍山古墳(さきたま古墳群で8番目の築造)は半壊だったため、修復のおりに中を展示館とし、玄室(横穴式石室)の様子などが再現されている。その壁面に用いられていた石材が〝房州石〟だ。 だが房州石とはいっても、鋸山(のこぎりやま)から切り出された…

鎌倉の鬼門守護「永福寺」の秘密

頼朝が創出した鎌倉には、基軸が二つある。 一つは、鎌倉のメインストリート兼参道の若宮大路だが、約1・8キロの真っ直ぐな道路で北端に鶴岡八幡宮が置かれた。ただし、この基軸は東に27度ほど傾いており、町全体が(鶴岡八幡宮の社殿なども)同様の傾き…

二重星ミザールとアルコル 鉄砲山古墳と奥の山古墳

まことに恐縮ですが本文訂正です。この写真「386ページ下段写真」の説明文。 《鉄砲山古墳》 は間違いで 《奥の山古墳》 が正解です(増刷のさいに訂正予定)。 つまりこの古墳は二重星の小さい方=アルコル・輔星で、冥界の大神様「泰山府君」が降臨したも…

丸墓山古墳に呪われた武将

この丸墓山古墳は、大河ドラマなどの常連で、みなさん何度となく見ているはずです。 日本最大の〝円墳〟で、まん丸のはずなんですが、遠目に見ると頂上部が平らなことが分かります。 誰かに削られたのでは、とも考えられており、その犯人と目される第一容疑…

『神神の契約』釈 西風隆介

ここは『神神の契約 古墳と北斗七星に秘められた真実』の、いわば公式の謎本で、西風隆介みずからが綴っています。 当初は上下巻を想定し(プロローグ其の一は下巻、プロローグ其の二は上巻のそれ)1・5倍ほどの分量があったのを切り刻んで現在の姿にして…