【神神の契約】釈 

西風隆介による公式の謎本  

さきたま古墳群の〝房州石〟

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 将軍山古墳(さきたま古墳群で8番目の築造)は半壊だったため、修復のおりに中を展示館とし、玄室(横穴式石室)の様子などが再現されている。その壁面に用いられていた石材が〝房州石〟だ。
 だが房州石とはいっても、鋸山(のこぎりやま)から切り出された独特のハケ模様がある、家の外塀や建材などに多用されたそれ(現在は採石されていない)ではなく、いわゆる〝転石〟で、鋸山の前にある海、東京湾に面した金谷海岸に「転がっていた石」である。
 実物が館内に展示されていて、ひと抱えほどある大きな房州石だが、持ってみると、拍子抜けするほどに、軽い。石に穿孔貝(孔〈あな〉を穿〈うが〉つ貝)が棲みつき、穴ぼこだらけにしているからだ。軽くて運びやすく加工しやすい石で、そういうのを選んで採ってきているのだ。
 金谷海岸とさきたま古墳群は、100キロ以上はゆうに離れているが、もちろん船運だ(東京湾内は三嶋の船を使ったかもしれない)。 
 玄室の壁は房州石だが、天井には長瀞(ながとろ)産の緑泥片岩が用いられている。渓谷のライン下りで有名な長瀞は、さきたま古墳群から西に30キロほど離れている。こちらも荒川を遡っていけば着け、同様に船運だ。
 忌部が四国の阿波でお墓ビジネスで売りさばいていた〝阿波の青石〟も、同じく緑泥片岩なので、さきたま古墳群を丹念に探せば、混ざり込んでいる可能性なきにしもあらずだろうか。


 房州石は安房でも使われているのだ。
 たとえば、后神天比理乃咩命を祀る洲崎神社などで。