延喜式神名帳に載る后神天比理乃咩命神社は、文永10年(1273年)の火災で社殿や古文書類などを完全に焼失し、百年以上も放置され、永享11年(1439年)に現在地に遷座して規模を5分の1に縮小して建てられたのが、写真の洲宮神社だ。
鈍感な筆者が見ても感じられるぐらい霊位は落ちていて(すこぶる)さびれた雰囲気だ。
海外のラピタ研究者から「日本にあるという〝ヒリ神殿〟はどこですか?」と尋ねられれば、現状「あちら」と答えるしかないだろう。
常楽山萬徳寺の本尊は、体長16メートル・重さ30トンのガンダーラ様式の釈迦涅槃仏で1982年の建立だが、標高70メートルほどの兔尾山(とおやま)の尾根で寝そべっておられる。お釈迦様の足の裏などを見る機会は、そうそうないだろう。
いや、この背後の木々の奥に本来の用向きがあるのだ。
焼失してしまった后神天比理乃咩命神社の本宮が、そのあたりにあったからである。
だが木々が深くて侵入できず、専門家に案内してもらわないと素人には探せそうにない。
地図で見るかぎり兔尾山は真っ緑で、つまり古社地は古代のままに保たれているのだ。現在そこが私有地なのか何なのかは不明だが、筆者にビル・ゲイツほどの財力があれば、洲宮神社を古社地に戻して再建するだろう。そのような奇特な篤志家が将来現れるまで、お釈迦様が古社地を護ってくれている、そう考えられなくもない。