【神神の契約】釈 

西風隆介による公式の謎本  

〈其の4〉〝多摩川〟のタマの由来は?

f:id:NARAI:20210206134633j:plainf:id:NARAI:20210206134655j:plain

  古代は〝多摩川〟が道である。川を遡っていくと河口から十数キロのところでカクンと左に折れてやや蛇行する。その正面(右手側)の崖上に古墳を建てたのだ。それが東国で最初の前方後円墳〝宝莱山古墳〟で、おおよそ西暦300年だ。上の写真は、その手前の @ の場所から撮影している。
 付近は古墳公園として整備されていて、多摩川台公園古墳展示室で購入できる『大昔の大田区 原始・古代の遺跡ガイドブック』に付録する「古墳散策マップ」をスキャンさせてもらったが、多摩川ハケ(崖上)約5キロにわたって大小多数の古墳が立ち並んでいるのが分かるだろう。

 太古の船旅〝ジャングルクルーズ〟を想像するに、木々の合間から巨大遺跡が次々と現れ見えてきて、さぞや興奮したに違いない。古代人は、なかなかの演出家なのだ。

f:id:NARAI:20210206145234j:plainf:id:NARAI:20210206145256j:plain

  多摩川のタマの語源は、いくつか考えられる。
 ① 田園調布、調布市、布多天神社、布田、川崎市麻生区、麻生川、大麻止乃豆乃天神社など、多摩川は古来から麻と布の川で、「多麻川に さらす手作りさらさらに」と万葉集に記されてあったように、多い麻と書いて多麻(タマ)。
 ② この多摩川に入植して開拓したのは〝忌部〟で、彼らが奉っていた大神様は〝天太玉命〟だが、それを漢字一文字で表せば、やはり「玉」となる。それは大國魂神社の魂(たま)で、魂(たましい)という意味にもなるだろう。実際、世田谷区の町名では「玉川」を用い、二子玉川などがそうだ。
 ③ ヒリ・モトゥなどの南島語では、父親のことを「タマ」といい、転じてボスや王様を意味するのだ。
 このどれか、というより、これらが合わさって多摩の語源になったと考えた方が自然かもしれない。

 

 さて、ここが多摩川多摩地域だと、すなわち「多摩」が地名として確定すると、さきたま古墳群がある北武蔵に影響が及ぶのだ。ここと北武蔵は離れてはいるが、同一国だからである。
 前玉神社という名前は、元来は古墳群周辺の位置関係を表すネーミングだったと想像されるが、地理的には多摩の真北、つまり先にあるので、サキタマ、ともなる。つまり一神社の名称が、地名へと格上げされた、とも考えられるのだ。