【神神の契約】釈 

西風隆介による公式の謎本  

小山〝安房神社〟の秘密

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 穀(かじ)の木が生(お)うる所なり、故(ゆえ)、結城(ゆうき)の郡(こおり)という。と『古語拾遺』にあった結城市、その西隣の小山市にある安房神社は、忌部氏の最終到達点と考えられていて、実際かなり奥地だ。
 社伝によると、第10代崇神天皇年代の創建で第16代仁徳天皇年代に再建、だそうだが、南武蔵の大國魂神社(宮乃咩神社・大麻止乃豆乃天神社)よりは明らかに後年なので(川筋が複雑で伝承の「舟太郎」の助けがないと到達できない。地図は現代の整備された川筋で、古代はアマゾンの秘境なみだったはず)、創建の実年代は、西暦300年代のどこかだろう。
 ところで、小山安房神社ほぼ真北、約10キロほどの場所に〝下野国庁跡〟があるのだ。いわゆる国府地である。その付近を拡大したのが、次の航空写真地図だ。

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 国庁跡の敷地内に、かの〝宮目神社〟が鎮座しているではないか!……
 ご存じ、忌部の入植と町作りをしめす北の女神様で、これで4例目だ。

 ★ 后神天比理乃咩命神社 ⇔ 安房神社 250年頃
 ★ 宮乃咩神社 ⇔ 大麻止乃豆乃天神社 280年頃
 ★ 宮目神社(玉敷神社) ⇔ 川島杉山神社 450年頃
 ★ 宮目神社(下野国庁跡) ⇔ 小山安房神社 300年代

 ほぼ真北と書いたのは、1・2度(距離では約170メートル)ほど東にずれているからで、忌部&三嶋的には「緩い」といわざるをえない。
 だが、航空写真地図をご覧になれば分かるように、一辺80メートルほどの国庁の中央区画に一神社が建っていたはずはなく、国府が廃れてしまった後(あと)、それを忍んで遷座されたものなのだ。実際、国庁の正殿跡と目される場所に建っていて、神社の撤去(引っ越し)費用がかさむため発掘調査は滞っているそうだ。
 古社地や創建年など詳しいことは判っていないが、忌部の几帳面な(しつこい)性格からして、南北線にきちっとのせていただろうと想像され、大國魂神社では宮乃咩神社は国衙の西門にあったので、こちらも同様の位置関係だった可能性は高い。