大國魂神社の大鳥居(御影石製では日本一)をくぐって1、2分歩くと、左側に石畳の細い参道が直角にのびていて、その先に〝宮乃咩神社〟が建っている。だが、写真のような風情ある社殿は、すでに無い。
扉の小窓が可愛いが、やはり〝宝珠窓〟と呼ぶそうだ。
なお建て替えのさいに、国衙「西門」の遺構が発見された。
下3枚の写真は建て替えた後のそれだが、宮のめの表記にはゆれが見られる。
正面の扁額は今も昔も「宮乃賣」だが、「賣」は「売」の旧字で「比売」として使われるのが一般的だ。
敷石新設記念で奉納された絵の額は「宮乃咩」だ。
北多摩神道青年会の説明板は「宮之咩」で、提灯もこれだろう。
「乃」と「之」の差異は無視できるが、「賣」と「咩」は、えらい違いである。
大國魂神社のホームページには「宮乃咩」神社とあり、これがいわゆる公式見解だろう。
明治初年の太政官布告『神仏判然令』に伴い、摂社・末社に至るまで神社名や祭神名を確定する必要に迫られ、時の大國魂神社の宮司さんが、この「宮乃咩」という文字で提出したのだ。明治以前の古文書類に表記ゆれがあり、かすかな伝承(神社の秘密の奥義)などをもとに、この「咩」を採用したのだろう。
だが太政官布告など今となっては死に法なので、摂社ぐらいの名称は変えようと思えば比較的簡単に変えられそうに思える。
西風隆介みたいなゴロツキに痛くもない腹を探られたくはない!……「咩」はやめて普通の「賣」にしたい、そんな神社側の本音が「宮乃賣」という扁額になって表れているのでは、とも想像できるのだ。