【神神の契約】釈 

西風隆介による公式の謎本  

〝大鷲神社〟の「鷲」の秘密

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 大國魂神社・拝殿の右手(東)側に、素木造りの小さな社殿がある。住吉神社と大鷲(おおとり)神社の合同社だ。住吉神社はさておき、問題は大鷲神社である。案内板には次のように記されている。

 祭神 大鷲大神(おおとりのおおかみ)。
 例祭 十一月酉の日。
 大鷲神社の御本社は大阪府堺市大鳥神社でその御分霊をまつっている。もとは武運を守護する神として信仰されたが、現在では〝おとりさま〟と称され開運の神、商売繁盛の神として信仰があつい。毎年十一月の酉の日には、熊手の酉の市として親しまれている。

 白字であらわした箇所、これは間違いだろうか。

 説明板にある堺市の「大鳥神社」とは、式内社名神大社和泉国一ノ宮・境内地約1万5千坪、全国にある大鳥神社・大鳥信仰の総本山で、本殿は大鳥造りと呼ばれ出雲大社造りに次ぐ古い形式を保っており、その公式紹介ビデオがこちら。祭神は2柱で、日本武尊ヤマトタケルノミコト)と大鳥連祖神(おおとりのむらじおやがみ)だ。
 元は大鳥連という古代豪族の祖神を祀っていたが、日本武尊信仰が習合したと考えられている。日本武尊伊吹山で毒霧にさらされて亡くなったが、白鳥となって当地に降り立ったという伝承だ。ところで、こちらには一切 「鷲」 など登場してこないのだ。

 

  「鷲」の字を使った〝大鷲神社〟は意外と少なく、宗教法人としては全国に7社しかない。しかも、すべて東国(関東圏)に集中しているのだ。では、その個々を調べてみよう。
 ★大鷲(おおわし)神社(茨城県つくば市)祭神は日本武尊。元は地元の旧家中島氏(小田一族の武士)の氏神であったと伝えられ、11月初酉の日に隣村より神主を迎え、奥の院を開いて祭礼が行われ、藁で大きな大蛇の形を作り、神社の鳥居に巻きつけるそうだ。大鷲=大鳥の連想から、後年、祭神を日本武尊にされたのだろう。
 ★大鷲(おおわし)神社(千葉県市川市)祭神は日本武尊。小社で由来などは不詳。
 ★大鷲(おおわし)神社(千葉県市原市柳原)祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)。
  鷲(わし)神社が近隣(同市原市今津朝山)にあって、祭神は天日鷲命日本武尊だ。
 ★大鷲(おおわし)神社(千葉県成田市北羽鳥)祭神は天日鷲之命(あめのひわしのみこと)で、船山俊彦さんのブログ「成田に吹く風」に詳しい探訪記事が載っている。
 ★大鷲(おおわし)神社(千葉県印旛郡栄町安食)祭神は天乃日鷲命(あめのひわしのみこと)+日本武尊
 ★大鷲(おおわし)神社(千葉県印旛郡酒々井町)祭神は天日鷲命で、古墳(300年代の円墳)の上に建っている。ブログ「怠け者の散歩道」の探訪記事によると、中国由来の珍しい「石枕」が出土しているそうだ。
 ★大鷲(おおとり)神社(東京都足立区花畑)祭神は日本武尊源義光後三年の役のおり、この地で戦勝を祈願した際に見かけた「鷲」を祀ったのが神社の縁起であるという。古くは鷲明神と称されていたが、明治以降、鷲神社と改められ、のち大鷲神社を正式名称とした。祭神の日本武尊は明治の神仏判然令のさい、そう定められた。ゆえ江戸時代以前の祭神は不詳で、しいて言うなら「鷲」だろうか。また、自称「酉の市」発祥の神社であり、社殿の向拝柱に彫られたは「昇り龍・降り龍」は荘厳で、左甚五郎13代目後藤与五郎の作だそうである。

 

 以上ざっと見てわかるように、大鷲神社は「おおとり」ではなく「おおわし」と読むべきで、祭神は天日鷲命天日鷲之命天乃日鷲命だ。漢字は微妙に違うが、ご存じ〝忌部五部神〟のひとり、阿波忌部の祖神に他ならない。東国はおもに〝忌部〟が開拓していたので、そっち系の神社で、堺市大鳥神社とは関係性は無いのだ。これら大鷲神社の総本山は、古代の忌部の湊であった浅草の鷲(おおとり)神社とすべきだろうか。
 「寄らば大樹の陰」思想
 有名な大神社や知られた大神様に紐付けしてしまう、往々にして神道関係者がおちいる悪い癖である。これは神様にとっては、ありがた迷惑な話で、無関係なのに関係づけられて、喜ぶ神様はおられないだろう。

 

 ここ大國魂神社でも勿論「酉の市」が開催され、江戸三大酉の市(もしくは関東三大酉の市)に数えられている。他は花園神社(新宿)と鷲神社(浅草)だが、もう目茶苦茶に混雑する。店先で不用意に立ち止まっていると叱られるぐらいに。そのてん大國魂神社は境内が広いので、まったり楽しみたい方にはおすすめだ。