【神神の契約】釈 

西風隆介による公式の謎本  

武蔵府中熊野神社古墳の〝上円下方噴〟の謎

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 武蔵府中熊野神社古墳は、大國魂神社国府地)から西へ2キロほどの場所にあって、関係しそうな所在地をプロットしたのが上の地図だ。
 ここは特殊な形状をした日本最古の上円下方噴(じょうえんかほうふん)で、650年頃の築造だ。裏を返せば、真新しい古墳形式を創出したわけだ(忌部が)。
 実は、大國魂神社から東へ6キロほどの場所に天文台構内古墳(てんもんだいこうないこふん)という同形式の古墳が存在する。三鷹市教育委員会発行のpdfによると、660年前後の須恵器が出土したそうで、つまり熊野神社古墳の次に築造されたらしいのだ。墳丘は、熊野神社古墳が1辺32メートル、天文台構内古墳が同30メートルと大きく、その特殊な形状から2基は首長墓と考えられている。要するに、南武蔵に出戻ってきた忌部(笠原)の王族たちのお墓である。

 熊野神社古墳展示館にあった説明パネルを(『神神の契約』でも紹介したが小さすぎて文字が読めなかったので)あらためて写真で示そう。 

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 高度な土木技術で√2などを使っていて七曜文(七星文)みたいなオーパーツ的な先進文化を誇っている遺跡が、なぜ、このような東国の片田舎にあったのか従来謎とされてきたのだ。

 『神神の契約』を読破された方なら謎は解けたと思われるが、すなわち高度な文明を誇る〝宇宙人〟のごとき一族が、ここに君臨していたからなのだ。

 

 実は、近年、非常に大きな上円下方噴が発見されていて、埼玉県の川越市にあるのだ。はてさて、どんな関係だったのだろうか? 次はこの話だ。