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「この地図を見ると、入間川(いるまがわ)はもう単独の川やんか、東京湾に注いどって」
「そうも見えるけれど、いちおう隅田川(すみだがわ)経由なのよね。古・隅田川って書かれているけど。それに入間川に関しては、こちらの地図の方が、たぶん正しいと思うわ。そちらは南の方は簡略化しているのよ。多摩川も描かれてないし」
「この、豊島駅、いうんはなんや?」
「古代の東海道の道の駅ね。上野の谷中(やなか)霊園あたりだったと推測されているわ」
「知っとうぞう、上野公園の北やんか」
土門くんの父親が経営する骨董店は上野広小路にあるので彼も付近の地理には詳しい。
「そやったら、古代の忌部の湊が分かるぞう。おとりさんは、ここや!」
と、土門くんが地図に書き込んだ。
「この地図では、わたしはそもそも氷川大宮のことに思いを巡らしていたのよ」
いうとまな美も、地図に赤丸を付けた。
「そんなとこにあったんか、氷川神社は」
「つまり出雲族って、古代の入間川に入植したのでは、と考えられるのね」
「なるほど、あっちの地図を重ねると、そないなるな」
あっちの地図とは、西角井正慶の神社分布図である。
「出雲族が入植して最初に造るのは、地域のシンボルとなる神殿。つまり大宮の氷川神社よね。そして次に造ったのは」
「お墓やあ」
と、まな美の説明を横取りして土門くんがいった。
「じゃあそのお墓だけど、どのあたりに造ったと思う?」
まな美が、ちょっと意地悪そうに訊いてきた。
「え~……大國魂神社の場合は、多摩川に入ってから少し行くと川がかくんと曲がっとって、その崖の上やろう、古墳は目立つとこに建てるいうんがせおりーやからなあ……」
土門くんは、まな美の顔色をうかがいながら、ねちねちと喋る。
「そやけど、たぶんここは違うんやろなあ……」
「そうよ、入間川の下流域は湿地帯だから古墳は造れないの」
まな美は、さっさと結論をいう。
「思い出した思い出した。家康が江戸城に入った頃ですら、あたりはどろどろべちゃべちゃで、人は住まれへんかったんやあ」
「だから古墳も、入間川の中流から上流域に造らざるを得なかったはずなのね」
「ほな、検索してみよか……入間川、古墳……おっ、けっこうたくさん出てきたぞう」
「……そこと、……これと、……それもね」
と、まな美にあれこれ指示されて、土門くんがグーグル地図に書き込んだ。
「三変(さんぺん)稲荷神社古墳が、この地域では最古の古墳なのね。とはいっても、400年頃か、せいぜい300年代末あたりの、それも四角い形をした〝方墳〟で、約25メートルと小さい。前方後円墳が現れるのは500年を過ぎてからのようで、最大のが舟塚古墳と牛塚古墳だけど、50メートル弱で、さほど大きくはない。ともに600年頃の築造。入間川のコの字のあたりが、いわゆる古墳銀座で、地図には出てないけど沢山あるのね。けど大半が円墳で、いずれも小さくて、そして最後の最後に、680年頃に、山王塚古墳という特大の上円下方噴が造られたの。……以上が、大雑把な説明よ」
土門くんは、ふんふんと頷いてから、
「するとやな、このへんの古墳が、入植してきた出雲族のお墓と考えてええわけやな?」
「わたしは単純にそう考えているんだけれど、一般的には考えないみたいね」
「な、なんでや?」
「だってバレてしまうじゃない。氷川神社の縁起や創建年が嘘だって」
「は、は、は、は、は、は、は……」
土門くんは大声で笑う。
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さらにつづく