【神神の契約】釈 

西風隆介による公式の謎本  

まな美と土門くんが喋る〝出雲玉作〟と〝みほきたま〟の謎

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「以前に〝出雲玉作の地図〟を作ってもらったでしょう、あれを出してくれる」
「あれやな、ほな、でで~ん」
 と、土門くんがパソコンの画面に出した。

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「土門くんちの骨董屋さんでは、勾玉などは扱うの?」
「神戸の本家には置いとったから触ったことはあるぞう」
 土門くんは、指でビー玉を弾くような仕草をしている。
「そやけど、翡翠(ひすい)のやつやで。縄文時代から作っとった、はるか古代の勾玉や。この花仙山で採れるんは出雲石とかゆうて、写真で見たかぎりでは濃い緑色や。翡翠は宝石として値打ちあるけど、こっちの方はどないやろか……」
 と、骨董屋の坊(ぼん)としての感想を述べる。
「この出雲玉作は、弥生時代の末あたりから作っていた、らしいわよね」
「ざっと、200年代の前半やな」
 ――弥生時代の次は古墳時代だが、境目は〝箸墓〟である(卑弥呼の没年は247年)。
「複数の文献に載っていて、古くは『出雲国風土記』に、出雲の意宇(おう)郡に忌部の神戸(かんべ)があり、すなわち私有地だと。そのことは東忌部町・西忌部町として現代の地名にも残っているわ。真ん中には忌部神社が建っていて、祭神は天太玉命ね。もちろん『古語拾遺』にも記載があって・・・・・」
 そんなまな美の解説にあわせて土門くんが、でで~ん、と画面を切り替えた。新入部員を獲得するためのプレゼン用にと、各種作ってパソコンに保存してあるのだ。

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「・・・・・玉作湯神社の祭神・櫛明玉命は、忌部五部神のひとりで出雲忌部の祖よね。作っていたのはミホキタマと呼ばれ、漢字はいろいろあるけれど、『延喜式』にもミホキタマとあって、ここ固有のブランド名なのかもしれないわよね」
「み、ほ、き、た、ま~」
 土門くんは呪文を唱えるように、なにやら詠唱している。
「地元のオンラインニュースに面白い記事を見つけたわ」
 ――山陰中央新報「悠久のくに(11)出雲の玉作りと花仙山(松江市)」2013年9月10日。
「それによると、300年代の後半に、花仙山の赤メノウを使った勾玉が、初めて作られたらしいのね。そして古墳時代の後期になると、勾玉といえば、ここの赤メノウのそれに収斂されていったそうよ」
「へー、時代とともに流行り廃りがあるんやな」
「よくぞ作ったと思う。出雲の自己主張以外の何ものでもない、と熱く語られているわ。さらにこうも書かれている。弥生時代から古墳時代、一貫して玉作りを行ったのは全国でも出雲だけ。究極の出雲ブランドこそ出雲の玉と実感できる、と……」
 まな美は、ひと呼吸おいてから訊く。
「ところで土門くん、ここで作られていた勾玉・ミホキタマは、古墳時代の当時、書かれていたように出雲が誇る、究極の出雲ブランドだったと思う?」
「ええ?……」
 土門くんは狐につままれたような顔をしてから、いった。
「な、なんと異なことを……」

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                         さらにつづく