【神神の契約】釈 

西風隆介による公式の謎本  

〝鷲宮神社〟の嘘

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 以前紹介した西角井正慶の神社分布図には、ver.2 と呼べるものが存在し、氷川神社香取神社久伊豆神社の3社に、あらたに〝鷲宮神社〟の群が加えられている。だが分かりづらいので、研究者がリライトされたそれを添付した。鷲宮神社は、久伊豆神社群に沿うように北側に分布しているのが分かるだろう。そして地図も、加筆した ver.2 を示そう。

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 『日本書紀』に記された笠原直使主(および金錯銘鉄剣の加差披余)に由来する「笠原」という地名は、実はもう一箇所あって、南埼玉郡宮代町笠原だ(地図の右下すみ)。東武動物公園の近隣で、ユニークな校舎で知られる笠原小学校や笠原沼などがある。だが、さきたま古墳群からは約25キロも離れており、古代の勢力範囲の広さがうかがい知れるだろう。

 さて、問題の鷲宮神社だが、全国で22社が宗教法人として登録されているそうで、その約六割が先の神社分布図のように北武蔵(埼玉県)に集中している。その本社と目されるのは地図にあらわした鷲宮神社で、東武伊勢崎線の駅名にもなっていて、両笠原村の中央、宮目神社の東7、8キロの場所にある。そういった立地から、この鷲宮の「鷲」は、当然ながら、あの〝鷲〟だろうな……などと勝手に想像しながら、鷲宮神社の公式ホームページをのぞいてみると、由緒には次のように記されてあった。 

 当神社は、出雲族の草創に係る関東最古といわれる大社である。
 神代の昔に、天穂日宮とその御子武夷鳥宮とが、昌彦・昌武父子外二十七人の部族等を率いて神崎神社(大己貴命)を建てて奉祀したのに始まり、次に天穂日宮の御霊徳を崇め、別宮を建てて奉祀した。この別宮が現在の本殿である。
 景行天皇の御世には、日本武尊が当神社の神威を崇め尊み、社殿の造営をし、併せて相殿に武夷鳥宮を奉祀した。 

 一般的に、お寺の縁起や由緒は史実に比較的忠実だが、神社のそれはファンタジー色が濃い。なので目くじらを立てて否定するのもどうかと思うが、ものには限度というものがあるのだ!
 いったい何を根拠に「関東最古の大社」などと宣っているのだろうか?
 この鷲宮神社は「式内社」ですら無いのだ。記紀国史にもいっさい記載は無いし、文献に登場するのは『吾妻鏡』が最初で、つまり鎌倉時代だ。それに高千穂じゃあるまいし、こんな辺鄙なド田舎に、そうそう有名神が降臨してきたりはしないのだ。
 それに仮にだ、古代、ここに出雲族がそういった神社を建てていたとして、そこへ日本武尊が訪ねてきたとしよう、どうなると考えているのだ?
 日本武尊が、なぜ出雲族が建てた神社などを崇め尊まねばならんのだ? 日本武尊が成敗していた相手は、おもに出雲族なのだ! 出会ったら即、首を刎ねられる対象だ。神社の由緒に自己矛盾を起こしているではないか!
 さらに幕末のころは、な、なんと、ここは「前玉神社」だと名告っていたそうである。埼玉郡式内社は、前玉神社、玉敷神社、宮目神社の3社しかないので、当時一番ボロっちかった(今でも弱小だが)さきたま古墳群の前玉神社に狙いを絞って「式内社」の栄誉をパクろうとしていたわけだ。そしてご多分にもれず、この鷲宮神社こそが「お酉様の本社」だと称して熊手を売っている。もう節操がないことこの上ない神社だが、今現在は埼玉県の初詣客、なんと第二位だそうである(一位は氷川神社)。神社の嘘にほいほい騙されて参拝にいく参詣客もどうかと思うが、ある意味ダさいたまを象徴する神社だといえそうである。

 筆者は根拠なく誹謗中傷しているわけではない。実は別の場所に、まともな鷲宮神社が存在するからだ。


                             つづく