【神神の契約】釈 

西風隆介による公式の謎本  

淤美豆奴神・八束水臣津野命

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 八束水臣津野(やつかみずおみずぬ)命は、『出雲国風土記』に登場する主神(いわゆるトリックスター)で、「八雲立つ」が出雲の語源であると説いたり、有名な「国引き神話」の陣頭指揮をとった神様だ。
古事記』にも記されてあって、淤美豆奴(おみづぬ)神で、須佐之男命と櫛名田比売の4世孫となる。大国主命は6世孫だが、この系図の続きはこちらになる。

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 さて、興味深い書籍を紹介しよう。『解説・出雲国風土記』今井出版2014年だが、全面カラーの大判で、内容はすこぶる充実しており、だが1852円と格安の本である。その中で、次のように解説されている。
国引き神話によれば、ヤツカミズオミヅヌが最後に降り立った場所は「意宇杜(おうのもり)」である。しかし、出雲東部にこの神を祭る神社はない。また国引きは西から東に向かって順番におこなわれている(中略)。このような点を踏まえると、この神はもともと出雲東部ではなく出雲西部で信仰されていたのではないか。出雲西部には、冨神社や長浜神社などヤツカミズオミヅヌを祭神とする神社がある。出雲西部では、『出雲国風土記』成立以前に小山を作った神としての素朴な神話が存在した可能性もある。出雲国造が出雲全体を掌握した時に、この神も小地域の国作りの神から出雲一国の国引きの神へと変貌したのではないかという考え方もできるのではないだろうか」

 先の解説は、裏読みするとこうなる。
「ヤツカミズオミヅヌは出雲東部の神だという考え方が昨今あるが、それは違うと考えたい!」
 このような考え方が出てきた原因は、いうまでもなく「妻木晩田遺跡の発見」にあったわけで、妻木晩田(出雲東部すなわち伯耆)の方が出雲西部(出雲大社側)よりも古く、約100年先行しているからである。
 この本は、実は「島根県教育委員会の発行」で、口さがなくいえば、ある種のプロパガンダ本だ。いわゆる「出雲ブランド」を宣伝・教化・洗脳するために書かれており、だから採算度外視の上製本なのだ。

「島根」と「鳥取」の覇権争いは、人知れず水面下で繰り広げられているのであった。