【神神の契約】釈 

西風隆介による公式の謎本  

まな美と土門くんが喋る〝出雲国〟の古代史

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妻木晩田遺跡の数キロ西側を、日野川(ひのがわ)が流れているのね」
「え? あの八岐大蛇がおったという肥の川(ひのかわ)?」
「そういうもあるのよ。妻木晩田遺跡は最初期の出雲国なんだから、肥の川がこちらにあっても良さそうよね。けどどうしても、出雲大社側の斐伊川(ひいかわ)には負けてしまうのね」
「それこそまさしく、ろびい活動の差やな」
「この妻木晩田遺跡は、200年代の半ばあたりで人が住まなくなっていったらしく、集落としては消滅してしまうのね」
弥生時代古墳時代の、ちょうど境目やんか」
 いうと土門くんは、パソコンの画像を別のに差し替えながら、
島根県側の、本来の出雲国で四隅突出型墳丘墓が造られるようになったんは、例外的に古い青木遺跡を除くと、だいたい100年頃からやそうや。ほな説明の続きをやるんで、ででーんと、ばーじょん2を」
「どこが違うの?」
「微妙に違うんやぞう」

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「墳墓群は西と東に分かれとって、約40キロも離れとう。そやけど年代的にはほぼ同じなんで、たがいに競い合って造っとったみたいや。まん中の松江市周辺にもあるんやけど、このへんのは小さい。西にあるんが西谷(にしだに)墳墓群で、写真で見ると、せまい場所に30ほどの古墳がひしめきあっとう。うち6基が四隅突出型墳丘墓で、最大のやつはここにある」

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「東にあるんが〝古代出雲王陵の丘〟やねんけど、これは安来(やすぎ)市が、観光客誘致のためにそう呼んどうみたいや」
「まあなんてロビー活動が上手なんでしょう……妻木晩田遺跡はえらい違い……」
 まな美は、なおも呟いている。
「ここも中海(なかうみ)を見渡せる丘陵地帯で、1~2時間で見て廻れるぐらいの場所に点々と立ってるそうや。そして、この四隅突出型墳丘墓は東西ともに、奇しくも、弥生時代から古墳時代に変わるあたりで造るんを止めてしまうんやな。つまり250年ごろまでや」
卑弥呼が亡くなって倭国に内乱が起こったでしょう。それが出雲にまで波及していたのかもしれないわ」
「そやけど、お墓はもう造らへん、いうわけにはいかへんので、つぎに造ったんが〝方墳〟や。四角いお墓で、それも日本最大級のやつを、でん、でん、でん……と出雲王陵の丘に造っとう。それが大成(おおなり)古墳や造山(つくりやま)古墳で、ざっと300年代の話や。そして出雲最古の前方後円墳は、ちょうど400年ごろで、斐伊川下流にある大寺古墳がそうや。最大の前方後円墳は、西谷墳墓群の横にある今市大念寺(いまいちだいねんじ)古墳で、92メートル、500年代後半ぐらいや。そして出雲最大の古墳は、意外にも松江市にあって、山代二子塚(やましろふたごづか)古墳やねんけど、前方後方墳という変な形をしとう。前方後円墳の円のところが四角に変わっとうねん。どうやら出雲族は、四角という形が特別に好きみたいやな」
 まな美は、うんうん、と大きく頷いている。
「こっちも年代的には500年代後半ぐらいで同じや。そやけど結局は、この松江市の方に出雲の国庁が造られたんで、勢力争い的には東が勝った、いう感じやろうかな。まあざっと以上が、古墳から推察した出雲国の古代史やあ」
 まな美は、ご苦労さまとばかりに小さく拍手をしてから、画面を指さしながら、
「ここ、出雲国のど真ん中。こんな場所に忌部神戸、忌部の私有地があったのよ。すごいと思わない?」
「た……たしかに……」 

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                         さらにつづく