【神神の契約】釈 

西風隆介による公式の謎本  

まな美と土門くんが喋る〝四隅突出型墳丘墓〟と〝出雲国〟の最初期

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「出雲ブランド、みたいなもんは古代にはあらへんかったやろな」
「でしょう……」
「独自形式のお墓をばんばん勝手に造っとって、倭(やまと)形式の前方後円墳に出雲がなびいたんは、せいぜい西暦400年ごろやんか。それ以前は、日本武尊(やまとたける)様に成敗されてしまう側や!」
 と、土門くんは雄々しくいった。一時期、彼には日本武尊が降臨していたことがあるのだ。
「神話のふるさとだとか神在月(かみありづき)だとかいって、ちやほやされているのは近代のロビー活動のおかげよね」
「ろ、ろびい活動……まあ確かに」
「作ってもらった、四隅突出型墳丘墓の地図、あれを出してくれる」
「あれ作るんすごい大変やったんやぞ、あれ作ってこれ作ってと姫は簡単にいうけど」
 土門くんは、ぶつくさ文句をいいながらも、
「ほな、でで~んと」

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「四隅突出型墳丘墓いうんは、この炬燵の」
 ふたりは今、奥座敷に置かれた家具調の電気炬燵に入っている。
「炬燵布団の四すみの角っこを、ぎゅーと引っ張ったような形や」
「それって、土門くんの発想?」
「いや、どっかのブログからの受け売りや」
 と、土門くんは正直に申告してから、
「その変な形の墳墓が最初に造られたんは、出雲大社から南に60キロほど離れた山あいの、三次(みよし)盆地や。20メートルぐらいのを筆頭に小さいのが10数個あって、最古のやつは約2100年前やと考えられとう。そやけど、青木遺跡のが同程度に古いということが、最近の研究で判ってきたらしく、三次盆地源流説は崩れつつあるそうや」
「その青木遺跡などの出雲市の古墳類は、大半が斐伊川(ひいかわ)沿いにあって、『古事記』では肥河、『日本書紀』では簸川、読みはヒノカワもしくはヒカワで、あの八岐大蛇(やまたのおろち)が棲んでいたとされる伝説の川ね」
 と、まな美が補足説明をはさむ。
「つぎに古いんは、意外にも東のはしっこにある、妻木晩田(むきばんだ)遺跡や。小っこいのが沢山あって、約2000年前、つまり西暦0年あたりやそうや。厳密にいうたらここは伯耆国(ほうきのくに)やねんけど、古代の出雲国は、このへんまでを含むと考えた方がええねんやろな」
 まな美は、うなずいてから、
旅行会社の案内ページなどを見ると、日本海美保湾を見渡せる丘陵地にあって、それはそれは絶景で、九州の吉野ヶ里遺跡などより、はるかに規模が大きいらしいのね。そしてここが、最初期の出雲国の中心地なんだけれど、鳥取県側にあるので、全くといっていいほど知名度はない。……土門くん知ってた?」
「や~知らへんかったぞう」
「これもロビー活動で負けてしまっているせいね」
「まあなんと可哀想は話やろ。日本で一番弱小な県の鳥取県やから、しゃーあらへんなあ」
 と、土門くんも同情ぎみに語るのだった。 

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                         さらにつづく