【神神の契約】釈 

西風隆介による公式の謎本  

石霞渓とヤマタノオロチ

 これはムー4月号に掲載された写真だが、伯備線の「生山駅」の近くで撮影したものだ。いかにもオロチの鎌首が、3つほど、だら~とのびているように見えるのだが、いかがだろうか?
 あたりは「石霞渓」と呼ばれる景勝地で、名前が付いている大岩も多数あって、獅子岩、仙人岩、畳岩、桃岩、天狗岩などだが、どの岩がどの名称なのかは、現地の案内人にでも教えてもらはないと、不明だ(ネットを探しても見当たらない)。だから上の写真の岩も、名前が付いているのかどうかは不明なのだ。
 数日前から雨がけっこう多かったので水かさが増していて、偶然こう見えたのかもしれない。通常は、こうは見えないのかもしれない。もろもろ不明なのである。
 取材旅行で「生山駅」を訪れた理由は、日野川の大きな分岐点がここにあったからだ。別の川から八岐大蛇がのしのしやって来て、その川の分岐点(合流点)で決闘する、というのは、いかにもありそうなシチュエーションではないか。
 だが「八雲立つ」写真と同様で、こういった八岐大蛇の岩の写真が撮れようとは、事前にはゆめゆめ思っていないのだ。水かさのなせるワザなのかもしれない(これも八束水臣津野命の差し金だろうか)。

    

  

  

 写真は遠くから撮り始めていて、時系列的に並べてみた。全体のフォルムもさることながら、とくに眼のあたりや鼻先の牙などが、極めてリアルだ! それとも、私の審美眼がゆがんでるのだろうか? 先入観で。

 八岐大蛇は、須佐之男命が準備した酒樽に首を突っ込んでガブ呑みして泥酔したところを討ち取られてしまうのだ。そんな伝承が生じたのは、この岩が原因ではないのか ⁉ とすら思えてしまうのだった。

 

「八雲立つ」撮影の秘話

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 今を遡ること40数年前の話だが、筆者が大学(鳥取大学)に通っていたころ、学友に地元(鳥取県)出身の男子がいて、その彼がこんな事を言ったのだ。                   
ヤマタノオロチに関係するヒノカワって、鳥取県米子市にもあるんだぜ、日野川が……」
 そんな話を聞いて、ふふ~んと小馬鹿にしたのを覚えている。
 そもそも、当時の私は、ヤマタノオロチ伝承の詳細など知る由もなく。
 地元愛にあふれた学友とは、知識にかなりのギャップがあったのだ。どなただったかは覚えていないが、その節は大変失礼なことをいたしました。
 けれど、この彼が言った「日野川」の話は、私の記憶にはしっかと刻まれてあって、そして今から10年ほど前だが、何かのはずみに「妻木晩田遺跡」の存在を知ったのだ。地図で調べてみると、すぐ横を「日野川」が流れていたではないか。「ああ、あの日野川だ! 大学の学友が語っていた!」
 そして小一時間調べて、今回ムーに書いた記事のあらすじを解き明かして、そして、そのまま忘れてしまっていたのだ。
 この種の謎解きは、日々つぎつぎとひらめく。だが自身が納得すると、誰に話すわけでもなく忘れてしまうのだ。だからおそらく忘れたままになっている謎解きは多数あるのだろう。
 そして去年の秋のこと。コロナが収束していた間隙をぬって出雲への取材旅行を敢行した。そもそも「忌部」の取材なので、玉作湯神社や粟嶋神社などが目的地だ。ついでに出雲特有の四隅突出型墳丘墓なども見て回ることにし、そうだそうだ、ヤマタノオロチの謎解きがあったっけ~とふと思い出して、あれを決着させるべく日野川の石霞渓などに立ち寄ることにしたのだ。
 旅行の日程は約2週間前に組んだ。出雲大社側から入って東へ進むルートにしたので、妻木晩田遺跡日野川は最後だ。だが到着した初日から、雨に降られてしまったのだ!
 終日雨、というわけではなく、晴れたり雨たり雲ったりを短時間でくりかえす山陰特有の日よりである。
 妻木晩田遺跡に行く前日には、早朝5時頃に激しい雷鳴で目が覚めたという、もう破茶滅茶な天候である。
 そして妻木晩田遺跡を訪れると、学芸員の方がこう仰ったのだ。
「今から30分ぐらいなら天気がもちます。今のうちに写真を撮りにいって下さい」
 いつ何時頃に着くと事前に連絡してあったので、天気予報を詳細に調べていてくれたのだ。
 そして撮れたのが、先の「八雲立つ」なのである。まさか、このような写真が撮れようとは、ゆめゆめ思っていないのだ。ここが「八雲立つ」語源の由来地であると、事前に誰が想像できよう(そもそも地図上は、ここは出雲ですらない)。

「よくぞ真相にたどり着いた。お前には特別なものを見せてやろう。これこそが『八雲立つ』なのだ」と、八束水臣津野(やつかみずおみずぬ)命の粋な計らいであったのだ、ということにしておこう。

 

「八雲立つ」仕組み

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 先の写真は、妻木晩田遺跡の西側丘陵から、西北西の境港市側を見ていたのだ(地図の赤い矢印がそう)。
 島根半島の突端は、美保関(みほのせき)美保の岬とも呼ばれるが、地図からも分かるとおり、山並みがかなり険しい。それが日本海に突き出ているのだ。
 風は、おおむね白い矢印の方向に吹く。そのことは、時間単位で変化するネットの天気図などを見ていただければ分かるだろう。
 日本海を渡ってきた風は多分に湿気を含んでいて、美保関の険しい山並みに当たると、雲をつぎつぎに生成させるのだ。その様子を、妻木晩田遺跡は、ほぼ真正面から見ているのである。そして沸き立った雲は、見ている側に、パノラマ状に(かつ放射状に)どわ~っと押し寄せてくるのだ。
 それがすなわち「八雲立つ」仕組みなのである。

 美保関と妻木晩田遺跡は約20キロ離れている。この写真では、境港市あたりは雨だろう。それが30分も経つと、こちら側にも雨が降り出してきて「全天虹の写真」が撮れた、といった経緯なのである。

 さらに古代は、写真の手前や左手側は、もっと海が広いので(イラスト参照)いっそう雄大な「八雲立つ」景色を眺めることができただろうと想像されるのだ。

 

                     つづく

八雲立つ

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 この2枚の写真が、今回のムーの記事(2022年4月号)の白眉である。
 準備万端「八雲立つ」写真を撮影しに妻木晩田遺跡に行ったわけではないのだ。
 無論「全天虹」の写真も同様だ。
 撮れたのは、まったくの偶然である。奇遇とでもいうべきか。
 これを撮影に至った秘話をご説明しよう。


                     つづく

西暦0年頃の美保湾

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 弓ヶ浜半島は、古代は島々で構成されていたのだ(上の地図は勝手な推測図で、夜見島・ムカデ島・タコ島・粟嶋の位置関係以外はデタラメだ)。また米子平野なども、かつては海の下だ。
 夜見島は、現在の境港市あたりだが、『出雲国風土記』の国引き神話に登場する。
 ムカデ島とタコ島は、現在の江島と大根島だが、こちらは出雲国側なので風土記に記されている。
 粟嶋は『伯耆国風土記逸文にある。
『大山寺縁起絵巻』1398年には、ほぼ弓ヶ浜半島が描かれているそうだ。だが粟嶋は依然として島のままで、1700年代の半ば頃に、ようやく地続きになったのである。

 といったような古代の情景をふまえて、八雲立つ仕組みをご説明しよう。

 

              つづく

淤美豆奴神・八束水臣津野命

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 八束水臣津野(やつかみずおみずぬ)命は、『出雲国風土記』に登場する主神(いわゆるトリックスター)で、「八雲立つ」が出雲の語源であると説いたり、有名な「国引き神話」の陣頭指揮をとった神様だ。
古事記』にも記されてあって、淤美豆奴(おみづぬ)神で、須佐之男命と櫛名田比売の4世孫となる。大国主命は6世孫だが、この系図の続きはこちらになる。

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 さて、興味深い書籍を紹介しよう。『解説・出雲国風土記』今井出版2014年だが、全面カラーの大判で、内容はすこぶる充実しており、だが1852円と格安の本である。その中で、次のように解説されている。
国引き神話によれば、ヤツカミズオミヅヌが最後に降り立った場所は「意宇杜(おうのもり)」である。しかし、出雲東部にこの神を祭る神社はない。また国引きは西から東に向かって順番におこなわれている(中略)。このような点を踏まえると、この神はもともと出雲東部ではなく出雲西部で信仰されていたのではないか。出雲西部には、冨神社や長浜神社などヤツカミズオミヅヌを祭神とする神社がある。出雲西部では、『出雲国風土記』成立以前に小山を作った神としての素朴な神話が存在した可能性もある。出雲国造が出雲全体を掌握した時に、この神も小地域の国作りの神から出雲一国の国引きの神へと変貌したのではないかという考え方もできるのではないだろうか」

 先の解説は、裏読みするとこうなる。
「ヤツカミズオミヅヌは出雲東部の神だという考え方が昨今あるが、それは違うと考えたい!」
 このような考え方が出てきた原因は、いうまでもなく「妻木晩田遺跡の発見」にあったわけで、妻木晩田(出雲東部すなわち伯耆)の方が出雲西部(出雲大社側)よりも古く、約100年先行しているからである。
 この本は、実は「島根県教育委員会の発行」で、口さがなくいえば、ある種のプロパガンダ本だ。いわゆる「出雲ブランド」を宣伝・教化・洗脳するために書かれており、だから採算度外視の上製本なのだ。

「島根」と「鳥取」の覇権争いは、人知れず水面下で繰り広げられているのであった。

 

妻木晩田遺跡

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 日野川の河口域の東側、大山のすそ野に、知られざる古代の遺跡群「妻木晩田遺跡」がある。
 漢字は読めないし、ほぼ誰も知らない遺跡だろうが、近い将来、日本一有名になること請け合いだ。というのも、ここは邪馬台国時代(および弥生時代)では日本最大の集落遺跡で、なおかつ古代出雲の最初期のムラで、その全貌が解き明かされつつあるからだ。
 20数年前に「大山スイス村」という大規模リゾートを作ろうとして偶然発見された(リゾート開発はバブルが弾けて頓挫)。標高80~180メートルの丘陵地帯にあって、約50万坪という広大な遺跡で、まだ1割程度しか発掘調査を終えていない。建物跡が約1000、墳墓が約40、古墳が約70(西暦250年を歴史区分に、それ以前の弥生時代のお墓を「墳墓」、以降のそれを「古墳」という慣習だ)、土器、石器、鉄器などの遺物も多数出土している。

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まな美と土門くんが喋る「謎の決戦場」

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「お兄さんの写真に《決戦場》とネーミングされたファイルがあって、こんな写真がたくさん入っていたのよ」
「岩だらけやなあ、川に」
 土門くんは、見たままのことをいう。
「場所は、伯備線の生山(しょうやま)駅の付近らしいんだけれど、古戦場なんかあったかしら?……」
「どこなんやあ?……」
 と、土門くんが地図を開いた。

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生山駅のとこに〝石霞渓〟という景勝地があるんで、ここやな。ちょうど川の分岐点で、数キロに渡って奇岩怪石がごろごろ転がっとうそうや。本流が日野川で、支流が石見川いうそうや」
「じゃあさっきの地図の、右端に見えていた川の上流域よ」
「そやったら、たたら製鉄で残土を流しまくっとった川やんか。土砂だけやのうて、こんな大きな岩まで流しとったんか!」
「それはさすがにないと思うわ。付近の山肌の写真もあって、もう岩だらけなので、それが落ちてきているのよ」
「わ~こわ! 年に何個か今でも落ちてくんのんちゃう。おちおち釣りでけへんぞう」
「それにしても、何の決戦場かしらね?」
 まな美は首をかしげるのだった。

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まな美と土門くんが喋るバッタもんの「須我神社」

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「お兄さんちからパクってきた写真の中に《×印》のフォルダーがあって、中に入っていたのがこれね」
「なんやあ? 須我神社ぁ?」
 いかにもいかがわしそうに土門くんはいう。
須佐之男命が八岐大蛇を退治した後、櫛名田比売と結婚したでしょう。そのさい〝須賀〟に宮を建てたと『古事記』にあるのね。その須賀だというわけよ」
「そやけど×印がついとったんやから、違うんやろ?」
 まな美は、小悪魔顔でうなずいている。

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「それで日本初之宮かあ、それに和歌発祥の遺跡とあるやんか。八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を~」
 土門くんは、その有名な和歌を滔々と詠んでから聞く。
「そやけど、これはどないな意味なんや?」
「そういうのはね、もう感じるがままに感じればいいのよ」
 まな美は投げ槍にいってから、
「この地方には須義禰命(すがねのみこと)という氏神さまがおられて、それが本来の祭神だったらしいわ。そもそも『出雲国風土記』には、八岐大蛇の伝承そのものが書かれていなかったし。それにもちろん、この須我神社は式内社でもないし……」
「それは結局やな、この神社はバッタもんやったいうわけや」
「そうそう、そのバッタもんだけれど、それはどういう意味なのかしら?」
 まな美は知っているが、白々しく聞く。
「葉っぱの上におるバッタやんか。見つけるとすぐに飛んで逃げてしまう。人にじーっと見られると正体がばれよるねん。そやから、ぴょんぴょんと飛んで逃げるわけや。そやからバッタもんいうねん」
「そうそう、それそれ!……」
 全然辻褄が合ってない説明だが、まな美は手を叩いて嬉しがるのだった。

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                            つづく

 

まな美と土門くんが喋る「弓ヶ浜半島」生成の秘話

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弓ヶ浜半島は、その名前のとおり、奇麗な弓状になっているけれど、古代は、2千年ぐらい前だと全然ちがっていて、この地図の、米子市の白っぽい場所は、大半が海だったのね。この地域の山間部では、古代から〝たたら製鉄〟をやっていたでしょう」
「そやそや、玉鋼(たまはがね)の生産地やな、日本刀の原材料になる。日本で最初の刀鍛冶は、たしか伯耆の国の人やぞう」
 土門くんは骨董屋らしい注釈をする。
「玉鋼の原材料は砂鉄なんだけれど、山を削って砂鉄をより分けて採るわよね、その残った土を、全部、川に流していたのね」
「そ、そないなことしたら、川どろどろやんか!」
「実際そのとおりで、農業に影響が出ない冬の間にやっていたそうよ。そして上流からどんどんどんどん日野川に土を流していくでしょう。それが積もりに積もって、現在の弓ヶ浜半島が出来てしまったそうなのね」
「いくらなんでも積もりすぎや、土流しすぎやぞう」
 土門くんはあきれていった。
「境港のあたりに夜見(よみ)の嶋という比較的大きな島があって、江島(えしま)と大根島(だいこんじま)は古代からあって、ムカデ島とタコ島と呼ばれていて、他には粟嶋みたいな小さな島が幾つかあった、というのが古代の情景なのね」
「そやったら中海は、今は汽水湖やろうけど、古代は完全に海やったんやな」
「そう」
 まな美は、こくりと頷いてから、
「だから粟嶋神社には、神様は海からやって来たという漂着伝説があるのね」

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スクナヒコナは天乃羅摩船(あめのかがみのふね)に乗ってきたと『古事記』にあるけれど、この羅摩って、ガガイモのことなのね。ところで土門くん、ガガイモって見たことある?」
「知らへん」
 土門くんは素っ気なくいう。
「見るとビックリするわよ。私も知らなかったんだけれど、写真を見て驚いちゃったわ。もうね、あれとそっくりなの……」
「な、なんのことやあ?」

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                         さらにつづく

 

              申し訳ありません、これはつづきません。

              理由はこちらで、つづきの部分が語られているからです。

まな美と土門くんが喋る「でぃーぷな地域」と「布多天神社」

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「姫がかっさらってきた写真をもとにして周辺地図を作ってみたぞう。そやけど、こないなとこに黄泉比良坂(よもつひらさか)があんのんかあ?」
「その謂(い)はゆる黄泉比良坂は、今、出雲の国の伊賦夜坂(いふやざか)と謂ふ。と『古事記』に書かれていて、妻のイザナミが祀られた揖夜(いや)神社というのがあって、古い式内社で、その近くに設定されているそうよ」
「幽霊好きの小泉八雲の家なんかもあったりして、でぃーぷな地域やなあ」
「ディープ? ディープぅ?」
 まな美は、疑わしい目で土門くんを睨んでから、
「それに妖怪神社って、そんな写真は含まれていなかったはずだけど?……」
「それは自分が気を利かせて付け足したんや。前に歴史部のみんなで行ったやんか。調布の布多天神社と深大寺に。あそこも妖怪だらけで調布と境港は妖怪同盟の市なんやで。そもそもゲゲゲの鬼太郎はやな、布多天神社の裏手の森に住んどってなんやから。ほな、そのときの写真をどっと公開しよう・・・・・」

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「実は布多天神社って、この一連の話と関係がなくはないのよ。ここの主祭神スクナヒコナだったでしょう」
「おっ、さすが先見の明や」
 土門くんは自画自賛してから、
「そやけど粟嶋神社の粟嶋は、全然島ちゃうやんか!」
「それにはね、長~い歴史の積み重ねがあったの……」

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                         さらにつづく

まな美と土門くんが喋る「粟嶋神社」と「八百比丘尼」伝説

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スクナヒコナ伝承って、伯耆の国風土記の逸文に載っているのね」
「いつぶん? て何や?」
「出雲の国風土記は全文が残っているんだけれど、お隣の伯耆の国風土記は、逆に、ほぼ消失してしまい、でも他の書物に引用されていたような文章が何行か残っていて、そういうのを、逸した文と書いて、逸文って言うのよ」
 まな美は丁寧に説明したが、
「……節分の親戚かと思たぞう」
 土門くんは与太をいう。

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「なかなか風情がある神社だわよね。出雲大社伊勢神宮の遙拝所もあるし、石燈籠は凝っているし」
因幡の白ウサギやな。それに竜は、これはヤマタノオロチか? 一匹やけど……」
「神社の裏手には、人魚伝説の洞穴(ほらあな)があるそうよ。間違って人魚の肉を食べてしまった娘が不老不死になって、ずーっと洞穴に閉じこもって暮らしていたという……」

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「わわわわ! こ、この写真は、ぞんぞがさばる~」
 と、土門くんは肩をすくめて出雲弁でいった(意味はここを参照のこと)。

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                         さらにつづく