【神神の契約】釈 

西風隆介による公式の謎本  

「八雲立つ」撮影の秘話

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 今を遡ること40数年前の話だが、筆者が大学(鳥取大学)に通っていたころ、学友に地元(鳥取県)出身の男子がいて、その彼がこんな事を言ったのだ。                   
ヤマタノオロチに関係するヒノカワって、鳥取県米子市にもあるんだぜ、日野川が……」
 そんな話を聞いて、ふふ~んと小馬鹿にしたのを覚えている。
 そもそも、当時の私は、ヤマタノオロチ伝承の詳細など知る由もなく。
 地元愛にあふれた学友とは、知識にかなりのギャップがあったのだ。どなただったかは覚えていないのだが、その節は大変失礼なことをいたしました。
 けれど、この彼が言った「日野川」の話は、私の記憶にはしっかと刻まれてあって、そして今から10年ほど前だが、何かのはずみで「妻木晩田遺跡」の存在を知ったのだ。地図で調べてみると、すぐ横を「日野川」が流れていたではないか。「ああ、あの日野川だ! 大学の学友が語っていた!」
 そして小一時間調べて、今回ムーに書いた記事のあらすじを解き明かして、そして、そのまま忘れてしまっていたのだ。
 この種の謎解きは、日々つぎつぎとひらめく。だが自身が納得すると、誰に話すわけでもなく忘れてしまうのだ。だからおそらく忘れたままになっている謎解きは多数あるのだろう。
 そして去年の秋のこと。コロナが収束していた間隙をぬって出雲への取材旅行を敢行した。そもそも「忌部」の取材なので、玉作湯神社や粟嶋神社などが目的地だ。ついでに出雲特有の四隅突出型墳丘墓なども見て回ることにし、そうだそうだ、ヤマタノオロチの謎解きがあったっけ~とふと思い出して、あれを決着させるべく日野川の石霞渓などに立ち寄ることにしたのだ。
 旅行の日程は約2週間前に組んだ。出雲大社側から入って東へ進むルートにしたので、妻木晩田遺跡日野川は最後だ。だが到着した初日から、雨に降られてしまったのだ!
 終日雨、というわけではなく、晴れたり雨たり雲ったりを短時間でくりかえす山陰特有の日よりである。
 妻木晩田遺跡に行く前日には、早朝5時頃に激しい雷鳴で目が覚めたという、もう破茶滅茶な天候である。
 そして妻木晩田遺跡を訪れると、学芸員の方がこう仰ったのだ。
「今から30分ぐらいなら天気がもちます。今のうちに写真を撮りにいって下さい」
 いつ何時頃に着くと事前に連絡してあったので、天気予報を詳細に調べていてくれたのだ。
 そして撮れたのが、先の「八雲立つ」なのである。まさか、このような写真が撮れようとは、ゆめゆめ思っていないのだ。ここが「八雲立つ」語源の由来地であると、事前に誰が想像できよう(そもそも地図上は、ここは出雲ですらない)。

「よくぞ真相にたどり着いた。お前には特別なものを見せてやろう。これこそが『八雲立つ』なのだ」と、八束水臣津野(やつかみずおみずぬ)命の粋な計らいであったのだ、ということにしておこう。