【神神の契約】釈 

西風隆介による公式の謎本  

「杉山神社」と「枌山神社」の謎に迫る

 杉山神社は、貞観11年(869年)編纂の『続日本後紀』の記述が最も古く、承和5年(838年)2月の条に、「武蔵国都筑郡枌山神社預之官幣。以霊験也」とあり、そして延長5年(927年)の『延喜式神名帳』に、「都筑郡杉山神社」とあり、つまり「枌」から「杉」へと漢字が変わった事が分かる。

「枌」は、日本ではスギと読んだりもするのだが、元来の意味(中国での字義)は、ニレの木である。ニレとスギは全然ちがう。スギは悪名高きスギ花粉をばらまく常緑針葉樹だが、ニレは落葉広葉樹で紅葉が美しく盆栽などにも用いられている。こういった全然ちがう木に、なぜ変えたのだろうか? その謎を追っていこう。

  

多摩川中流域における神社の境内の樹木の研究・特に境内の樹種構成とその配置」といった研究論文が pdf で配布されていて読むことが出来る。境内樹木の配置などが詳細に調査された労作で、著者の秋山好則さんに謝意。
 それによると、神社の御神木(柵を設けたり注連縄が張られたような巨木)の1番人気は、ケヤキであるそうだ。上の写真は、大國魂神社の大鳥居付近にあるそれで、冬と春の姿である。
 2番目はイチョウで、これもまあ理解できる。そして3番目がスギだそうである。ただしスギを御神木にしているのは青梅市東大和市東村山市のような、いわゆる田舎の神社で、都会の神社にはスギの御神木は、ほとんどない。元来スギ林だったところに神社を建てたからそのままスギを御神木にしたんだろうな~と安易に考えたのだが、これは間違っていたようだ。
 大國魂神社では、江戸時代から境内樹木を綿密に調査していてデータが残っている。それによるとスギの本数は、1812年は345本、1913年は275本だったのに、1973年の調査では、な、なんと0本なのだ。これは他所の調査でも同様で、幹周囲3メータ以上のスギの巨樹が昭和8年(1933)の東京市には19本もあったのに、昭和63年(1988)の東京都の調査では、やはり0本と消滅していたのである。意図的に伐採されたわけではない。スギは、花粉の悪役ぶりとは裏腹に、意外とデリケートな樹木で、公害や環境変化には耐えられないのだそうである。だから都会からは消えてしまったのだ。

 さて、先の pdf 論文によると、境内に使われていた樹木は、全部で138種類だそうである。だが、問題となっているニレの木は、この一覧表には名前が無いのだ。多摩川流域の神社には、どうやらニレの木は1本も植わっていないようなのだ! はてさて、これはどうしたことなのだろうか?

 結論からいうと、ニレは北国の木なのである。北海道では街路樹にふつうに使われていて、東北地方でも自生しているようだが、関東の北の山あたりが南限らしいのだ。だから乱暴にいうと、古代の大和の国には、ニレの木なんかそもそも存在しなかったのである(古代の国境は香取神宮鹿島神宮だ)。

 だが「枌」という漢字が中国からもたらされて、忌部は、これを使おうとした。その理由は『神神の契約』にも書いたが、中国側に「枌楡(ふんゆ)」という故事があったからなのだ。だがしかし、中国と日本とでは、そもそも神の概念がちがっていたのだ。忌部は、そのあたり、どう折り合いをつけていったのだろうか?・・・・・以下話が長くなるので、別項を立ててご説明しよう。

 

                      つづく