大國魂神社は西暦500頃から「南斗」だったので(さきたま古墳群が「北斗」)、東京都指定無形民俗文化財・武蔵国国府祭・大國魂神社例大祭〝くらやみ祭〟は、プリミティブな北辰祭と言えるだろう。本来、北辰祭は「南斗」でやる決まりだからだ。そもそも「南斗」は、祭りだあ祭りだあ、と飲めや唄えの乱痴気騒ぎをやるために設定された場所で、またそうすることによって南斗の神様は喜んでくれて彼らの寿命を延ばしてくれる、とそんな信仰だからである。
南武蔵の最初期の「南斗」だった岸谷杉山神社は300年頃、阿波の若杉山遺跡の「南斗」は200年代初頭で、もちろん同一氏族が関与していて〝日本最古の祭り〟なのである。
「南斗は匙(さじ)の形をした食物のいれものであり、食器としての南斗は神饌の中継者である」と、日本の民俗学の権威・吉野裕子(1916~2008年)は説く。
大國魂神社は、拝殿・本殿ともに真北を向いていて、もちろん参道も真北を向いている。そこで催されるくらやみ祭の様々な狂宴は、大音響の太鼓も、屋台での飲み食いも、お化け屋敷ですらも、北斗に手向けられた神聖な貢ぎ物なのである。